2019年9月13日金曜日

佐久間先生の思い出

何故、知らなかったのか、何故、暫く先生に会いに行かなかったのか、本当に残念で悔やまれて、仕方がありません。
今回、関東を直撃した台風で、千葉県が大きな被害を受け、停電しているとニュースで
館山の先生宅は大丈夫なのかと思い、連絡を取ったところ、先生は去年の12月に亡くなられたとの事。


















今思えば先生との出会いは、25年位前の事でした。
MJ誌に当時では珍しかった純国産東芝製送信管4P55を使用したアンプを佐久間先生が記事を掲載していたのです。
私は当時、某放送局で、技術者として、放送全般(音声、映像、照明)を行うと同時に送信所で送信機のメンテナンスも担当していました。
この頃の送信機は真空管式で佐久間先生が取り上げた、4P55も使用していたのです。
放送を止めることなく送信するために、定期的に真空管は交換されます。
エミゲンすることなくまだまだ使用できる真空管が保存されていました。
私自身、この真空管を毎回眺めつつ、何か再利用できないものかと思っていました。
一般では入手困難の為、先生のMJ誌の記事では、NHKの刻印が入ったものを使用していました。
お会いできないかと先生宅に電話すると、奥様が出られて、私が佐久間先生のお名前を(りょう)さんいますかと言ったら、そんな括弧の良い名前なら良いのでけど(すすむ)と言いますと言って、先生に代わってくれました。
先生は、今度、秋葉原で試聴会を行うので来ないかと誘ってくれました。
当日、妻と当時幼稚園児だった息子を連れて試聴会に行きました。
先生は、電話の事を覚えていて、幼い息子に君は音楽が好きか?
私のシステムはどうだね、と声をかけてくれたのです。
その後、皆でとんかつ屋に行き、先生は詰まんない酒になるからと言って、皆にはお酒を進めて、自分は飲まれなかった事を今でも覚えています。
この時、先生は、MJ誌の中澤編集長と桂川氏を紹介してくれたのです。
息子は、先生の影響を受け、オーディオに対してとても辛口に育ちました。














このことがきっかけで、廃品になった4P55を先生にプレゼントして、先生との親交が始まりました。
写真のアンプは、先生が私にタムラのトランス一式をプレゼントしてくれて、それで製作したのです。
私が、足の付け根に動脈流が出来、手術を受けた時、先生は、俺の親父も同じ病気で亡くなったと、心配して電話をくれました。
先生の再生装置は、一貫してモノラル再生です。
このことにより、何処にいても同じバランスで音楽が聴けます。
私が、ステレオ録音のソースをモノラルに変換するときに位相の関係を明らかにしたくて、ファイズシフターを内蔵したドライブアンプを製作、コンコルドのコンサートに持って行った事が有ります。
突然の試聴申し出に黙って、首を縦に振り、コンサート最後に接続をさせてもらい、これは何なのか、皆に説明しろと言ってくれました。
コンサート終了後、最近、お前は誰なんだと周りがうるさくて大変なんだ。
説明するのが面倒だからな、と先生。
この月、MJ誌を見たら何故か、私がこのファイズコントローラーを持ってコンコルドにいる写真が掲載されていました。











勝浦に出張する機会が有り、偶然入手したデンオンのDL-102を2個プレゼントとして持って行った時、(先生最近のデンオン(すでにデノン)は中国製です、この102は純国産最後ですよ、)と言ったら、急にアンプを4P55に繋ぎ変えて、この4P55は貴方がプレゼントしてくれたもので、今でも大事に使わせてもらっているよと。
毎年、電話連絡をしたり、コンコルドにお伺いしていたのですが、ここ2年近く疎遠になってました。
何故、連絡とお伺いしなかったと後悔してもしきれません。














このアンプは先生の形見です。
一生大事にすると共に、先生のご冥福を心よりお祈りいたします。

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